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2010-05-21

【現代芸能】吉本興業04--「ヨシモト」と闇勢力 2010_05_21_[FRI]



2010_05_21_[FRI]



シリーズ【現代芸能】ヨシモト芸人を作ろう!考察



ネットと電波媒体がクロスしてくる今日。



【現代芸能】を現象から見える『売れアルゴリズム』と『提供サイド側の思惑』を適当に考察する

シリーズ 【ヨシモト芸人を作ろう!】


-->コレまでの「ヨシモト」関連エントリー

---01見出し---

「ヨシモト」スーツを着たテキ屋、興行師軍団
  1. ▼「小説吉本興業」幕開き
  2. ▼「ヨシモト」とは何なのか?
  3. ▼「ヨシモト」が持つ特質は?
  4. ▼「ヨシモト」資料や関連書籍で、
  5. ▼「ヨシモト」がナゼ漫才にこだわるか?
  6. ▼「ヨシモト」がナゼ芸人より上か?
  7. ▼「ヨシモト」幹部が社員に贈るイズム
  8. ▼「ヨシモト」幹部しか知らない謎の小箱
---02見出し---

「ヨシモト」創業と攻撃的経営史
  1. ▼「ヨシモト」創業前、上方では、
  2. ▼上方「桂派」VS「三友派」の争いは、
  3. ▼「ホリエモン」如し「岡田政太郎」参上。
  4. ▼「ヨシモト」創業、「反対派」と手を組む。
  5. ▼「ヨシモト」と二代目「岡田」の利権戦争。
  6. ▼「ヨシモト」初めての関西制覇。
  7. ▼「ヨシモト」創業の攻撃的経営手法
  8. ▼「ヨシモト」攻撃的経営史
  9. ▼漫才師の父「林正之助」と落語
  10. ▼「ヨシモト」物語を彩る「吉本せい」
---03見出し---

「ヨシモト」芸と政治
  1. ▼「ヨシモト」の2010年、政治案件パドリング?
  2. ▼「ヨシモト」の「ワッハ上方」と政治案件?
  3. ▼「ヨシモト」の屋台骨を折りかけた政治案件?
  4. ▼「辻阪」脱税疑獄関連を追った記事や
  5. ▼「神創り」太古から政治と芸能は切れない。
  6. ▼「世阿弥」は政治で生かされ政治で死ぬ。
---04見出し---

◆「ヨシモト」と闇勢力
  1. ▼「ヨシモト」とライオン興行師【林正之助】
  2. ▼「ヨシモト」と浪曲師【広沢虎造】「ツブシ」案件?
  3. ▼今と違い興行師は興行師であった時代。
  4. ▼この【広沢虎造】案件での切った張ったは、
  5. ▼喧嘩上等!【桂春団治】を監禁せよ
  6. ▼「浪曲」や「落語」と違い【講談】という
  7. ▼「山春」のように興行師とは違う
  8. ▼興行とは「顔」で行い体を張る稼業だ。
  9. ▼現在は興行にも「業界コンプライアンス」が


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◆「ヨシモト」と闇勢力



「ヨシモト」とライオン興行師【林正之助】

某闇勢力の組長が死んだ葬儀の写真を撮られて「林正之助」さんが写っていた事を指摘され



「おまえ、知らんのか?アレは双子の弟や。闇勢力とは付き合っちゃいかん!弟にもちゃんと言うとかなあかん。」 というニュアンスで答えたという「林正之助」さん。

≪知らない人のために書いておくと、もちろん関連誌において双子の兄弟は現在まで確認されていない。≫

その「林正之助」さんが逮捕されたのが

1968年(昭和43)

『マーキュリーレコード乗っとり事件』



上手くいかなかった交渉に苛立った 「林正之助」さんが

「山口組300人で血の海を降らせてやろうか」

とやってしまい

当時の新聞見出し 【興行界の企業暴力手入れ】という見出しをつけられ、恐喝で御用。

「ヨシモト」の浪曲師【広沢虎造】「ツブシ」案件?

「ヨシモト」と絡んだ事件。

もちろん「ヨシモト」が発行する社史80年には載っていない。

マーキュリー事件より、もっとまえ

1940年(昭和15)、

オモテの笑いの裏側。 この界隈に本物の狂気が渦巻き「司法」でなく「私法」がまかり通っていた時代。

当時人気があった浪曲師【広沢虎造】は、浪花家金蔵という興行師がマネジメントしていて、



その金蔵がヨシモトと「興行と映画」に関して独占契約していたのにも関わらず

【広沢虎造】が保良浅之助≪下関が本拠地で政友会の代議士もしていた籠寅組の初代組長≫

から頼まれて日活映画の契約をしてしまう。

当時、【東宝】と深い関係にあった「ヨシモト」は【広沢虎造】案件に対していわゆる「ツブシ」に入る。

≪もちろん浪曲がらみで、日活ともヨシモトは佐渡情話など仕事をする。≫

今と違い興行師は興行師であった時代。

「吉本せい」さん達「ヨシモト」側で「ツブシ」を依頼する山口組との交渉窓口だったのが 若き「林正之助」さん達。



ただ、相手も「ツブシ」を入れられると顔で商売している籠寅組のメンツも地に落ちてしまう。

籠寅組の若い衆が浅草にあった金蔵の事務所に押しかけて【広沢虎造】案件「ツブシ」の撤回を迫る。

ちょうどその頃、

この件で上京していた「ヨシモト」の押さえであった山口組の二代目【山口登】も、それを聞きつけて



籠寅組による「ツブシ」の撤回を阻止するために

和解金を持って約束した通り金蔵の事務所に向かう。

籠寅組の5人とデイリ状態になり、二代目【山口登】も応戦し一命はとりとめるが日本刀やあいくちで18ヶ所ヤラれて大怪我≪この怪我が元で数年後に死亡≫

二代目のボディーガードしていた客分の≪中島武雄≫がヒトリ死ぬ事態になり新聞に載る

リアル清水の次郎長。

漫画みたいだけど、コレ全部、界隈的には有名な実話。

不義理に対しては「ツブシ」

コレがまさしく興行師の原型で時代とともに手法は変わるが

「ヨシモト」が行く道には避けられないDNA。

この【広沢虎造】案件での切った張ったは、

Wikiにある【山口登】「1940年春、吉本興業の絡んだ抗争で、下関の籠寅組に浅草田島町で襲われ重傷を負った。1942年10 月、41歳で死去。」と書かれているが

コレが【広沢虎造】「ツブシ」案件。

たまたま死人が出たからスッパ抜かれただけで、 この時代に生きた芸人歴伝を読んでいると、

こういう【案件】に絡む興行師とヤクザの話はしょちゅう出てくる。

で、ソレ関連書籍を読んで分析し考察していると「ヨシモト」なんていう当時からの興行界のビックネームは、 二代目【山口登】との関係でもわかるように

その当時の「ヤクザ」とも付き合いとは、

本当の最高幹部達と持ちつ持たれつで公然としていたが、 社会も現在の認識とは全く違いソレを当たり前のように 受容していた。そういう世界だったようだ。

だから、よくこの時代の「ヨシモト」と山口組との関係をもって「ヨシモト」を非難するのは非常にナンセンスだ。

≪そういう論でブログのエントリーを書いている人は、全体を時代で捉えられていないのだ思う。 ≫

この時代はヤクザも金看板を堂々と掲げて生活していたし、社会もそれを受容していたという社会状況があったのだ。

現在とは、全く違う。

喧嘩上等!【桂春団治】を監禁せよ

あはは。「ヨシモト」が芸人の身柄をおさえたり、借金をカタに家財道具まで取り上げるとか。

漫画の世界じゃあるまいし、ありないよ!

ヤラレれる芸人は売れてない三流ドコロだけでしょ?

答えは、

「三流ドコロ」だと記事にならないので後世の人には見えないから表面に出てきて知ることができるのは、 【人が死ぬ】とか、【捕まる】とか、対象が【一流ドコロ】の場合というだけだ。

つまり、興行屋「ヨシモト」にとって方針に逆らうヤツは、 芸人の一流ドコロだとか関係ない。

何故か?

何度も書くが「ヨシモト」とは芸人が売れて独立したわけでもなく、付き人や、マネージャーが独立したのでもなく 興行師の棲む【興行屋】が巨大化した会社なのだから。

興行師軍団「ヨシモト」にとって重要なのは、 芸人界の格よりも昔から「ヨシモト」幹部たちが口にする「ヨシモト」に【貢献】しているかどうかという判断基準のようだ。

1930年12月17日(昭和5)

『春団治事件』というラジオ出演に関する案件では、春団治をラジオに出さないようにする為に当時のJOBK≪NHKラジオ大阪≫の辺りを固めて 春団治を見つけ次第、監禁する作戦を立てて実行するもウラを書かれて失敗し

ラジオ出演をヤラれて、



『喧嘩上等!興行師が芸人に舐められてたまるか!』

という、いつもの通常運行「ヨシモト」は、 借金を盾に『春団治』の家具から金目の物を全部差し押さえ手続きを取る。

とうぜん、寄席出演も禁止。

しかも攻撃的な「ヨシモト」は放送を行ったBKに対しても牙をむく。

ただ、ココからが芸人『桂春団治』が並の芸人と違うところで、あの「ヨシモト」を敵に回して口に差押書を張った衝撃的な写真等で 新聞等のメディアに載るなどして世間を見方につけていく。

難癖を付けられたメディア側も、「ヨシモトは芸人を借金漬けにしてコントロールしている」等糾弾を行う。

当時から好戦的な興行師軍団「ヨシモト」幹部たちは、

興行屋をナメやがって、「ラジオ」で芸人を喋らしたら小屋が潰れる。生きるか死ぬじゃ! どうやって「ヨシモト」の敵対戦力と戦争していこうか?落とし所はどのへんだろう?

と、イキリたち反撃を考えている間もなく

このラジオ放送が元に『寄席』へ当初の予想に反してお客が押し寄せ、「ラジオ」で聞いた芸人が見たいという客が増え始めるという現象が起こり、

当時の「ヨシモト」幹部達は、

「コレって儲かるやん?」

手のひら返し

このラジオ媒体を積極的に取り込む戦略に切り替える。

しかし、一方の「ラジオ」とは手を組む戦術に切り替えるという矛盾をしていても 『桂春団治』に関して

「ヨシモト」は多くの芸人を抱える興行屋として

『顔』を潰した事に対しては、許すことが出来ない。

最終的には、2代目『林家染丸』師≪上方林家の止め名で、ヨシモトの大看板≫が上方落語家団体の長として「ヨシモト」に何度も何度も頭を下げ、 「ヨシモト」も貢献度の高い染丸師の顔を立てる感じで怒りの矛先を収めて許しを得ている。

≪今で言うと、『笑福亭仁鶴』師が「ヨシモト」に頭をさげるような感じのようだ。 また『桂春団治』級の噺家さえ芸界から永久追放するチカラが「ヨシモト」にはあった。≫

「浪曲」や「落語」と違い、【講談】という

現在では かなりマイナーな「口演芸」でさえ、

当時は露骨な【顔役】はちゃんと存在していて、講談の三代目「神田伯山」以降の神田派だと、



有名なのが神田会の会長をしていた通称「山春の隠居」と呼ばれていた元「テキ屋」だった「山田春雄」

この時代の東京の演芸史を読んでいると元「テキ屋」という暴力装置を力の源泉に名前がちょくちょく出てくる浅草の【顔役】で、 興行の世界にも首を突っ込んでいて【山春興行部】という名前で浅草田島町に事務所をかまえていた。

初めは浪曲≪三河家円車など≫だけだったのが、やがて落語等の世界にも関わってくる。五代目「小さん」襲名問題で蝶花楼馬楽≪後の林家正蔵--彦六≫のバックに付くなど。

『奈落と花道』等では「香具師の親分で、そのころ日本中の露店商に侠名が知れ渡っている男だ。頭髪を粋に刈りあげた先々代羽佐衛門 の血をひいているという」等と書かれてある。

席亭とも絡んできますから

Wikiの「山田春雄」にあるように本名は「山田鉱次郎」≫

寄席への出演権や一派の襲名興行なども取り仕切り、もちろんマージンも抜くという構図だったわけです。

明治後期から昭和初期ぐらいまでが書かれた関連書を読み漁ると、芸能界と言うのは講談だけではなく、

亭号、屋号、芸の各流派には「おさえ」として、力の源泉がどこにあるかは様々だが前述の 三友派の堀江「賑江亭」の藤原重助などのように芸人以外の【顔役】が存在し

芸史を彩っていきます。

「山春」のように興行師とは違う

また芸人を差配する【太夫元】とも少し違うブローカーのような人達と、 当時「ヨシモト」のような寄席や小屋を持つ

日本を代表する大興行師達でさえ、

出演契約など金のヤリトリをするわけで、弱みを見せれば漬け込まれキツク締めすぎると合口を返され 興行はナカナカ普通の人達が介入できる世界ではなく

興行師関連の書籍を読むと

戦後の芸能界に政治が『第一次頂上作戦』で一部の組織を排除するまで契約書もない権利関係が複雑に入り組み、

前述の【広沢虎造】案件などのような事件を生む土壌を常に孕み続けていたりしてたようです。



ちなみにチャカチャンチンチャン『オトコ~伊達ぇ~渡り鳥家業~股旅かけて~苦労するのも~人の為~』の 二代目【広沢虎造】の「清水次郎長伝」は

『文久二年の六月の十七日の夜の四つ(午後10時ごろ)遠州長野』≪閻魔堂の欺し討ち≫という

三代目「神田伯山」が得意としていた「清水次郎長伝」を元に浪曲アレンジされたモノだったりする。とか言う方が オイちゃんは詳しいのだがそれは又、別のエントリーで。

興行とは「顔」で行い体を張る稼業だ。

明治の終りから、そういう世界で勝ち抜き、

「ヨシモト」が最強で獰猛な狩人から

業界の酋長たる自覚で「ヨシモト」が【酋長ゴコロ】に目覚めて、明らかに「ヨシモト」へ敵対してくるモノ以外には牙を向けず 変貌をしてくる時期の話

興行とは『顔』で行うモノであるというリアルと共に味わえる

【「大塚鈴本」は燃えていた】から一部引用しておく。



場面は、 終戦で復員してきて、いきなり上野鈴本の社長におさまった「鈴木肇」若旦那は、芸者通いなどの遊興費に手形を乱発 してたちまちに大借金をつくってしまい、上野鈴本は創業以来の大ピンチに陥る。

返済対策に苦慮、絶望した大旦那の「鈴木孝一郎」は上野鈴本の 廃業を決意する。 ≪昭和26年当時で、6300万円≫



しかし「伊藤光雄」≪大塚鈴本の席亭、上野鈴本の総支配人となる≫は納得することができず、

演芸場の閉鎖に反対して 「私に鈴本の営業を任せて下さい。借金は全部払って見せます」と宣言するも



当時は、こういった興行師には銀行が鈴本レベルでもナカナカ貸さない時代だったので背に腹はかえられぬと 「伊藤光雄」氏は、吉本興行の林弘高専務がいる大阪に向かう。

途方もない大借金の返済を背負い込み、伊藤は焦りの余りの「勇み足」をしてし まうことになったのである。

鈴本の「親族会議」のあった数日後のことになる。 伊藤は、大阪の吉本興行の林弘高専務に「ちょっとお願いしたいことがあるから」と電話して、翌日に大阪へ向かったのであった。

弘高専務も驚く借金の額!

今日の隆盛を極める吉本興行の基礎をつくった「女興行師」吉本せいが、62年の生涯を閉じたのは昭和25年3月のことであった。

吉本せい亡き後の興行を切り回していたのは弘高専務であった。

伊藤はその弘高専務に挨拶をすまして、単刀直入に用件を切り出そうとすると、「伊藤君、お金のことできなはれたか?」といきなり機先を制せられたのである。

伊藤は「はい」と答えるのみで、次の言葉が出なかった。つまりは、すでにその頃は「鈴本はつぶれるよ」と言う噂が関西にまで広まっていたと言うわけである。

専務の「なんぼいるんや?」に、伊藤は「全部ってわけにはいきませんが、とりあえず五千万円お借りしたいのです」

さすがの弘高専務も「ええ、ほんまかいな!桁違いじゃないの……」と驚き、うなってしまったほどである。

専務は「ああ、鈴本はつぶれる、つぶれると大阪まで響いているけど……なるほど、そうか、しょうがないなあ……」と独り言のようにつぶやいていた。

そしてしばらくの間、腕組みをし、 目を閉じていた。

伊藤にとってその数分がなんと長い時間に感じられたことか。弘高専務からどんな返事が返ってくるか、実に不安な時間だったと、伊藤は語っている。

そんな伊藤の緊張感を打ち破るかのように、弘高専務は受話器を取りあげ、ダイヤルを回したのである。

「ああ、わしじゃ、吉本の林や。来週の火曜日に上京するよって、五千万現金で用意しておいてくれ。良いか、頼みまっせ」と言って受話器を置き、

伊藤に「今、伊藤さん聞いてのとおり、 東京の大和銀行の本店にかけました。火曜日に用意しておきますから使って下さい」と快くおっしゃったのである。

伊藤は涙を流して喜んだのだった。

そんな伊藤に「ただし、伊藤さん、条件があります」と伊藤の顔をのぞきこんで専務は言った。

「伊藤さん、あなたの体を担保にしてくれないか……同じ興行師の仲間で、大阪の吉本の若造が天下の鈴本に金貸したなんてことがバレるようなことがあったら、 上野鈴本が世間の笑い者になります。ですから、そんな失礼なことは出来ませんから、君を抵当に君に貸すならかまいません。伊藤さんが担保になってくれますね……」

伊藤はもちろん「私の体でよかったら結構です」と答えた。

そして夕飯を御馳走になり、急ぎ黒門町の大旦那の家へ帰って行ったのであった。

≪「大塚鈴本」は燃えていた:「渡辺武男」:伊藤、自分を担保に吉本興行に借金≫
これがノンフィクションであり実話だから

酋長「ヨシモト」カッコ良すぎるのである。

しかし、この時代は特に興行とは【顔】でするものだから帰ってから事の成り行きを大旦那に話すと大目玉を食らいます。

弘高専務との一件を得意げに報告すると、突如、「お前、バカも休 み休み言え!」 大旦那の雷が落ちてきたのだ。

呆然としている伊藤に追い討ちをかけるように

「断ってきなさい。吉本からはビタ一文借りない!しかしそんな言い方をしちゃあ角がたつ。だから色々考えたけどお断りしますって、こう言って断ってきなさい!」

と孝一郎大旦那は怒りをあらわにしたのであった。

「大阪まで恥 をかきに、しかも独断で何てことを……。電話では失礼だから明朝早く、林さんのところにいって断ってきなさい」

それから孝一郎大旦那は、伊藤にお説教をした。

「伊藤なァ、もし仮に吉本だろうが歌舞伎座だろうが明治座だろうが、興行師から鈴本のわしがお金を借りたということになると、生涯、興行はできないんだ。そういうものなんだよ。 そういう世界なんだ……」

伊藤は、それまでの高ぶった感情がすっかり萎えてしまい、今は自分の愚かさに愛想をつかしていた。

「今夜はもう汽車がありませんから、明朝行ってきます」と言って引き上げたが、一人になると妙に悲しく、情けなく、涙が止めどもなく流れた。

≪「大塚鈴本」は燃えていた:「渡辺武男」:吉本興行からの借金、社長に怒られる。≫


翌朝、「伊藤」氏は大阪に向かいます。

伊藤の突然の再訪に、吉本興行の弘高専務は「今日は何や……」と怪誘な顔をしている。

伊藤は「お詫びに上りました。主人はご厚意に感謝しております。くれぐれもお礼を申し上げてくれとのことです。しかし興行仲間からはお金を借りることはできないのでお断りしてく るようにと、かように言われて参りました」と率直にお詫びしたのであった。

弘高専務はポンと膝をうち

「偉い!さすが鈴本の大将だ!よく分かった。伊藤君、旦那は立派なお人や。陰ながら応援さしてもらいます。 ……だけど、君のような忠犬ハチ公さながら、主人のピンチを助ける忠義ものを持った鈴本は幸せだなあ……」と羨ましげに伊藤をみつめていた。

≪「大塚鈴本」は燃えていた:「渡辺武男」:吉本興行からの借金、社長に怒られる。≫
その後「伊藤」さんは神経症から胃潰瘍となり血を吐きながら鈴本の借金返済の策を練ることになるのですが、興味ある方は図書館で借りるなり買うなりどうぞ。

この西の「ヨシモト」と東の「スズモト」との接触と言う秘話のくだりを読むと 「ヨシモト」の酋長としての自覚が芽生えている男前ぷりや≪東京吉本だった「林弘高」氏の個人的資質論は取らない≫、

【興行】と言うモノの本質が見えてきます。

現在は興行にも「業界コンプライアンス」が

金科玉条として奉じられ

表面上は若きライオン「林正之助」さんが興行師として裏回ししていた時代とは違い、 大手はプロダクションと名前を変えたが

現在も一部では、



年末の特番でも有名だった某プロレス興行の関係者が不審死だとか週刊誌を未だに賑やわし、

「重田雅通」さんの「最後の興行師」にもあるように 大手が入ってこない小さなリアル興行の現場では第三次頂上作戦(1975年~1978年)以降でも変わらずの 切った張ったが

リアルな日常描写とともに出てくる。興行師と言う業がよくわかる一節などで批評のために一部引用する。

また、ある地方都市で、プロレスの興行を行ったときには、ちょっとしたトラブルがあった。

会場はスーパーマーケットの屋上だった。

広島県呉市のFという男に「プロレスをやりたがっている人がいる」という話を 聞いて、地方のプロダクションのMという人間を紹介され、それで興行を打ったわ けだが、このMが金を持って来ない。

いくら言ってもらちがあかないので、私は 「金を持って来るまでゴングを鴫らさへん」と断言した。

試合を始めないまま三十分ほど経った頃、ついにしびれを切らした客が騒ぎ始めた。

そこへMが来て、「支払いについて、ちょっと話がある」と私を呼び出した。

おかしいと思いながらMについて行ったが、

思った通り、人気のないところで待っていたのは、数人の暴力団風の男だった。

その中の一人が「金は終わるまでにつけるから、ゴング鳴らしたってくれ」と言う。

私は毅然として「あかん、この場で金をつけんかつたらゴングは鴫らさへん」と言い放ち、

しばらくその場ですったもんだしていた。

すると、突然、サバイバルナイフを突き付けられて、「やったろか!」と凄まれたので、「刺せるもんなら、刺せや!」と言い返してやった。

ようやらんのはわか ってる。

これくらいで怯んでたら、興行師なんかやってられるか。

結局、Mは、総額の三分の二の金を持って来て、残りの三分の一は終わるまでに 払うということで決着した。

「最後の興行師」:「重田雅通」:興行師VS広島の与太男。≫
本文にもあるが、こういう興行師達が「与太」などと呼ぶ人間は、ギリのライン≪サバイバルナイフを出す時点で本来はアウトだが≫で 相手を飲み込めるか探っているのだ。

結局、総額の金を分割で手を打つが、相手は元々「コンプライアンス」どころか「銭」は有っても 自分より弱いヤツから如何にして出し抜くか。 という約束などあってない世界。

契約確定後も交渉で切り抜けようとしているヤカラなのだ。

それがリアルだ。

そして多く繰り広げられる少し困った日常の風景のようだ。

弱みはもちろんだが一刺しぐらいで怯んでしまったら、与太はそこに漬け込んでグイグイ攻めて来ると言うのだから、

コレを魑魅魍魎の世界と呼ばず何と呼べばいいんだろう?

喰わねば喰われる魑魅魍魎の世界で、時に自らの手を汚しながら『ライオン』と恐れられた男たちのDNAが刻まれる「ヨシモト」

1軒の三流小屋から日本屈指の興行屋へ「ライオン」が言う【闘争心】と【愛社】で勝ち上がった「ヨシモト」

コノ世界で100年生き延びた興行会社「ヨシモト」

考察するには非常にオモロだ。



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